2014年12月24日水曜日

演歌のルーツ

普段の話題にはあまり出てこないものの、「実は結構好き」という方が多いのが演歌ではないでしょうか。かくいう私も、時々TVで演歌の番組を観たりしています。


◎演歌とは
演歌とは、もともと歌によって意見を述べるという意味で、「演説」に対応することばとして明治中期から使われるようになったのだそうです。演歌の内容は、自由民権論と呼ばれる人間の自由や平等、政治的な権利を求める政治思想です。人の集まる街なかで、演説がわりに歌われました。その後、大正末期には政治色のない演芸となり、街頭でバイオリンの伴奏にあわせて流行歌としてうたわれるようになって、昭和、平成の演歌につながっていきます。(参考:コトバンク)


◎演歌のルーツ、声明
演歌の声と音、響きに着目すると、そのルーツは遥か昔、奈良・平安時代に古代インドから中国を経由して日本へ伝わった仏教音楽「声明(しょうみょう)」に辿り着きます。声明とは、仏教寺院で法会の際に仏教僧が演奏する声楽で、仏典から抜粋した歌詞を唱えます。日本に伝わってからは真言宗や天台宗、曹洞宗など各宗派の寺院によってオリジナルの声明にアレンジされ、1300年を超えてうたい継がれてきました。「声明」という言葉はインドのサンスクリット語の漢訳で「声」=「言葉」、「明」=「知識」の意味です。奈良東大寺のお水取りで演奏される声明は毎年ニュースで取り上げられて有名ですが、多くの方がお寺のお堂から響く僧侶の声を耳にしたことがあると思います。最近は“お寺で朝ヨガ”といったイベントに声明が組み込まれているものも増えています。参加してみたことがあるのですが、身体の奥底から震えるような声の響きに身を任せると、大地と空の間でカラダが一体になって宙に浮いたような、心地良い気分になりました。


◎日本の声楽
実は、声明を起源とする日本の声楽は他にもあり、義太夫節や清元節などの浄瑠璃、能や狂言の謡などもそうです。これらはよく「お経を唱えているみたい」と評されますが、それもそのはず、仏典を声に出して唱える声明が先祖なのだから当然のことになります。

では、声明から演歌までを結ぶ日本のうたの本質はどこにあるのでしょうか。一般に西洋音楽の三要素がメロディ・リズム・ハーモニーであるのに対して、日本音楽の三要素は息・音色・言葉とも言われます。中でも私は「息」が要なのではないかと感じます。狂言師の野村萬斎氏は「気が声になる」、浄瑠璃太夫の七世竹本住大夫氏は「声ではなく息をぶつける」と言います。ちなみに、義太夫節には吐く息だけでなく吸う息の声もあり、さらに息を止める声も使うのだそうです。演歌をみてみると、例えば八代亜紀の「舟唄」のうたい出しなどは、ほとんど息だけで音、声になっていて、盛り上がりの部分では容赦無い小節や唸りがあります。

声の色も、日本のうたには独特のものがあります。声明や浄瑠璃、謡も演歌も、声を引き伸ばしたり揺らしたり上げ下げしたりして、声の色を自在に変化させます。それは楽器で言えば尺八のようでもあり、太鼓のようでもあり、また三味線のようでもあり、あるいは雨風の音や大地の響きのようでもあり、立体的な音の空間が声でつくり出されているように感じられます。

 

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◎日本人の音楽観
なぜ、このような声のかたちが脈々と日本人に引き継がれ、好まれてきたのでしょうか?私は、日本人がどちらかというと「ことば」よりも「音」、そしてメロディよりも重層的な響きに美を感じるからなのではないかと思っています。うたわれるのはもちろん「ことば」なのですが、それをある「意味」として理解しようとするのではなく、音のまま聴き、音のままカラダに響かせる。音は、カラダの中で感情や心の根を生やしはじめる・・。

歌舞伎や能を観に行くと「意味がわからない」という人も多いのですが、いっそ声と音、舞台全体を取り巻く響きを直感的に聴いて、まるごと感じてみたらどうだろうか?と思います。カラダの中に秘められた感性や美意識が、何かを捉えるかもしれません。

 

◎日本のウタ
ウタというヤマトコトバは声明が輸入されるよりも前、日本の文字がつくられる以前からありました。もともとは声に出し、節を付けて自然の美しさや自分の感情を表現した作品のことを「ウタ」といったのだそうです。また、自分の気持ちをまっすぐに表現する意味という説もあります。面白いのは、演歌の歌詞の定番である男と女、涙、雨、海、別れ、夫婦(めおと、と読んでください)、望郷、北の抒情といった種は1300年前、奈良時代につくられた日本最古の詩歌集「万葉集」とまるっきり共通していて、古から変わらぬ感性と言えそうです。演歌を聴きながら、古代から受け継がれてきた声とウタの美学を感じてみるのも一興です。


◎クラブイベントで声明?
少し前から気になっている音楽フェスがあります。それは、仏教と音楽を軸にした「向源(こうげん)」というイベントです。「宗教」と聞くと気構えてしまいそうですが、このフェスは宗教・宗派の垣根を超え、寺院だけでなく神社も一緒になって開催しているとても自由なフェスとのこと。お香がたちこめるお寺でヨガや香道をしたり、精進料理を食したり、能や巫女舞に雅楽、そして天台宗青年僧らによる「天台声明」を味わったり。気軽に声明や雅楽などに近づける音楽フェスのようです。クラブイベントとのコラボ企画やDJ&ライブもあるらしく、ひととき寺社仏閣がディスコ化するとか(!)。今年の春は東京の増上寺で開催されたようです。来年のフェスには出掛けてみたいです。

 

[写真]
 ◎「白志野鉢 法螺貝と釣船」桃山時代 ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵
  出典:ウィキメディア・コモンズ
  法螺貝はインドを起源とする仏教の法具で、貝(バイ)と呼ばれています。仏教寺院では、聖なる音を奏でる楽器として古くから使われています。貝は仏の象徴で、その音は仏の説く教えの象徴でもあるといいます。息で音色を多様に変化させるのですが、古の口伝によれば息と一緒に気、心魂までも法螺貝の中に吹き込む勢いで吹かなければならないのだそうです。声明はこの法螺貝の音を声であらわしたもので、貝の音を口で奏でるというところから、漢字で「唄」と書きます。演歌の曲のタイトルに「舟唄」「恋唄」など、「唄」という漢字をあえて使っているものが多いのは暗示的です。古来日本で使われてきた「ウタ」というヤマトコトバに中国の文字を当てる際、結果として「歌」と「唄」が選ばれて今も何気なく使っていますが、歌でも唄でもなく「ウタ」といっていた頃の日本の声の響きに思いを馳せてみるのも面白そうです。

 

[参考]
 ◎「古典基礎語辞典」大野晋編 角川学芸出版

 ◎「若き古代」木戸敏郎 著 春秋社

 ◎「文楽」茂手木潔子 著 音楽之友社

 

[気になる音楽フェス]
 ◎向源
  声明のほか、ライブ、マルシェ、香、茶会など盛りだくさんの音楽フェスのようです。
  HP 
  FB 

 

[関連記事]
 ◎「笑う音楽会」
  音楽と笑いの関係を掘り起こしてみたら、古代にたどり着いてしまいました。

 ◎「生演奏」
  音楽と息の深い関係。生演奏の魅力を「音楽と息」という観点からお話しています。

 ◎「言葉と音楽のあいだ」
  言葉と音楽のあいだに秘められた甘美な時を求めて、プルーストの世界を覗きます。

 ◎「祇園祭の音風景」
  祇園囃子の“コンチキチン”から見えてくる音風景。

 ◎「音楽の色とかたち」
  日本のCD・レコード派の意識の奥底には、色とかたちに対する深い感性がありそうです。

2014年12月3日水曜日

音楽の色とかたち

 

◎アナログ・レコードの人気再燃?
この秋に人気ミュージシャン、テイラー・スウィフトが音楽のストリーミング配信サービスSpotifyから全曲削除することを発表して話題になりました。また、レディオヘッドのトム・ヨークはかねてSpotifyを批判し続けています。Spotifyのようなストリーミングをはじめ、ダウンロード、CD、ファイル共有など、音楽の聴き方や売り方が議論され続けている中、アナログ・レコードの人気が再燃しているともいいます。アメリカでは、2005年から2013年までの8年間で、アナログ・レコードの販売数が6倍以上に増えたそうです(「レコードが絶滅の危機から復活。売上が8年間で6倍以上に」The Huffington Post 2014年11月21日 )。


◎パッケージ派、日本
一方、音楽ダウンロードのシェアは約1割で、85%がCDで音楽を購入するというパッケージ派の日本(2013年、日本レコード協会調査より)、アナログ・レコード派も少なくありません。数年前に惜しまれつつ閉店した渋谷HMVは、今年の夏にアナログ・レコードとCDの中古専門店HMV record shop渋谷として生まれかわりました。

とりわけ日本でCDの販売が盛んである理由に、収集(コレクション)文化があるとか、日本の音楽業界は保主的だとか、色々言われています。しかし、私自身はもっと根本的な理由があるのではないかと考えています。そこで今回は、「音楽の色とかたち」という切り口で、日本人の奥底に秘められた音楽の享受のしかたを考えてみようと思います。


◎音と色
「音色」ということばは、音楽と色彩の強い結びつきを暗示しています。実際、古来日本で奏でられてきた雅楽には、旋律ごとに季節や森羅万象の他、象徴する色が重ね合わされています。ヤマトコトバで音色の音(ネ)とは、あらゆる生物・無生物が発した音声で、聞く側の心を動かす情緒的なものをあらわし、単純に物理的な音声を指す音(オト)ということばと区別します。色(イロ)は、心惹かれる美しい彩色や容色、さらに気配、兆し、風情、情趣などの感覚までを広く含みあらわします。

 

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◎「かたち」を重んじる精神
日本人は、心動かす「音色」を祭や舞台などの空間で味わい、共有してきましたが、レコードやCDなどの「かたち」になったことの意味は、実はとても大きいと思います。

ヤマトコトバの「かたち」の意味を紐解くと、カタは型で、一定のものをつくる枠のことを指します。チは霊力、生命力など、内にある活力のことをいいます。命(イノチ)の「チ」や力(チカラ)の「チ」と同じです。例えば生きている人の体や顔や物腰、神や仏の姿の他、エネルギーの満ちる豊かな土地のことなども「カタチ」と呼びました。しかし後に、「チ」の意味が薄れていき、「カタ」との区別がなくなったといいます。「かたち」は漢字で「形魂」と書く、と聞いたことがありますが、ヤマトコトバの本来の意味を捉えた当て方だと思います。私は、音(オト)が音(ネ)になり、音色、そして音楽になった瞬間に音霊(おとだま)が宿り、人はそこに「かたち」を見るのではないかと思います。音は流れて目には見えないけれど、色とかたちが確かにある。これは考えたりしなくても、直感的に感じるものなのではないでしょうか。

もしかすると、日本人にとってCDであることやレコードであること自体が問題なのではなく、デジタルメディアでもライブでもなんでもいい、音楽がちゃんと「かたち」であるかどうか。それぞれの音楽にふさわしい「かたち」こそが求められているのではないでしょうか。そう考えると、いわゆる「おまけ」付きCDの人気や、かつてある世代で流行したカセットテープの交換やプレゼントにも納得できるものがあります。


◎音楽の「かたち」色々
ライブイベントが盛り上がるこの頃ですが、カフェやギャラリーなどで楽しむユニークな音楽イベントもあちらこちらで開かれ、音楽の「かたち」も色々です。ちなみに最近興味深いと思ったのは、旅行会社JTBが音楽レーベル「JTB MUSIC」を設立したことです。音楽で観光振興や地域振興を推進するというのが主旨のようですが、旅と音楽を切り口にすることで、新しい音楽の色とかたち、そして空間が生まれそうです。

「音色」や「かたち」という意味深長なことばを背景に音楽文化を積み重ねてきた日本人の音魂(スピリット)は、きっとこれからもユニークな音楽シーンをつくりあげていくはずだと思います。

 

[写真]
 ◎「パルナッソスへ」パウル・クレー Ad Parnassum, Paul Klee
  出典:ウィキメディア・コモンズ
  パルナッソスとは、古代ギリシャで音楽を含むあらゆる芸術の神アポロンとミューズに捧げられた、聖なる山です。色彩、線、かたちを眺めていると次々にリズムやハーモニー、響きなどがあらわれて、限りなく続くメロディーの豊かな海を泳いでいるかのようです。この絵を描いたパウル・クレーは、音楽のもつ無限の豊かさを色とかたちにしました。

 

[参考]

 ◎「古典基礎語辞典」大野晋編 角川学芸出版


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