長い間、音楽を言葉で説明することができるのか、とか、そもそも音楽を言葉にする必要なんてあるのか、などということを考えていました。そしていったい、言葉と音楽はどんな関係なんだろう?と二つのあいだを行ったり来たり、悶々としていたのです。
そんな気持ちを吹き飛ばした存在が、20世紀を代表する長編小説、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」でした。あの、紅茶に浸したマドレーヌの味が一気に過去の記憶を甦らせる・・という場面があまりにも有名な小説。でも、フランス語原著にして3000ページを超え、日本語訳では400字詰め原稿10000枚にもなる長い長いお話であるとともに、一つの文もとてつもなく長い!ということで、実際には読んだことのない人や、途中で挫折したという人も少なくないようです。
◎「失われた時を求めて」が描くもの
「失われた時を求めて」とは、どんな小説か。100人のプルースト読者に聞いたら、100通りの答えが返ってくるかもしれません。それほどに多様な読み方ができる懐の深い小説なのです。私個人の読み方になってしまいますが、最も面白い要素の一つはきっと、ある時不意に幸せな気持ちになること、ある場所で突然何かを思いつくこと、ある事を目の前にして直感的に感じる「何か」のこと・・そんな色々な「なんとなく」のあらゆる理由を徹底的に、言葉で表現し尽くそうとしているところではないでしょうか。音楽を描いた部分も、美しい音楽を聴いた時の「印象」とか「気分」の裏側にあるものが深く追求されています。せっかくなので、音楽の描写を少しだけ(もちろん、一文が長いですが)ご紹介します。
“ソナタが百合のように白い田園ふうの暁に向かって開かれ、その暁の軽やかな純白のあどけなさを引き裂きながらも、白いゼラニウムの上の方で軽くしかもしっかりとまきついて伸びるスイカズラのひなびたアーチにからまるのに対して、この新たな作品は、海のように一様に真ったいらな表面の上で、雷雨の明けたある朝のしみとおるような沈黙と無限の虚空のなかに開始されるのであり、こうしてこの未知の世界は夜の沈黙から引き出されて、バラ色の曙のなかで少しずつ私の眼前に形成されてゆくのだった。”
「失われた時を求めて」第5篇 囚われの女
◎架空の音楽
プルーストは、まるで巧みな盆栽家が樹木で景色を描くように、言葉で音楽を描きました。盆栽家は、未完成の木に別の枝を継いで根付かせて、新たな魅力を開花させます。そして、その樹木がいずれミクロコスモスになるようにと、手を入れていきます。同じようにプルーストは、ベートーヴェンやワーグナーなど実在する音楽家の音を小説の中に散りばめながらも、ヴァントゥイユという名の架空の音楽家を「別の枝」のように登場させて、新たな音の宇宙をつくろうとしました。ヴァントゥイユは架空の音楽家なので、読者の誰にも音の記憶がありません。だから、言葉で音の記憶を新たに形作ることができます。不思議なことですが、例えて言えばベートーヴェンたち偉大な音楽家の音に丹念に言葉を継いで、ついに根付かせることに成功し、とてつもなく美しい音の花が咲いたようなものです。でも、言葉だからこそ描けた理想の、架空の音楽です。
◎言葉から音楽へ
プルーストよりも9歳年上で親交のあった音楽家ドビュッシーは、同じことを音楽の方から考えていたようです。あるときドビュッシーは師から「どんな詩人だったら、君に詩を提供できるのか?」と尋ねられて、こんなふうに答えています。「ものごとを半分まで言って、その夢に私の夢を接ぎ木させてくれるような人です」言葉に音を継いで根付かせる、という逆の道も、そしてその実例もあったのですね。
◎「あいだ」を旅する
こうして私は言葉と音楽のあいだで行ったり来たりすることが悶々としたものではなく、甘美なひとときになる可能性を秘めていることを知りました。おしまいにまた一つ、お気に入りの一節をご紹介します。「旅」にまつわるとても人気のある部分で、以前旅行会社HISのフリーペーパーでも引用されていました(かなり短くして)。*文中のエルスチールとは、ヴァントゥイユと同じく物語の重要人物で、架空の画家です
“ただ一つの本当の旅行、若返りの泉に浴する唯一の方法、それは新たな風景を求めに行くことではなく、別な目を持つこと、一人の他人、いや百人の他人の目で宇宙を眺めること、彼ら各人の眺める百の世界、彼ら自身である百の世界を眺めることだろう。そして私たちは、一人のエルスチール、一人のヴァントゥイユのおかげで、彼らのような芸術家のおかげでそれが可能になる。私たちは文字どおり星から星へと飛びまわるのである。”
「失われた時を求めて」第5篇 囚われの女
[写真]
◎「風俗吾妻錦絵」から菊月 香蝶楼豊国(四代目 歌川豊国)画
「失われた時を求めて」の世界は19世紀末から20世紀はじめのパリ。ヨーロッパではちょうど「ジャポニズム」の時代と重なります。そうした背景から、小説の中には「キモノ」「ムスメ」など日本の事物を描写した場面が出てきます。中でも印象深いのは菊の花です。魅惑的な女性を純白の菊に、サロンの調度品に使われている絹は淡いバラ色の菊に、秋の夕靄に沈む太陽がつくる華やかな空は銅色の菊に・・思いもよらない菊の花のたとえが次々あらわれます。菊は19世紀後半にイギリスのプラントハンター、ロバート・フォーチュンによって園芸花盛りの江戸からヨーロッパに渡り、各地でさらに改良されていきました。プルーストと親しい貴族の邸宅では畑和助という日本人庭師が雇われており、本格的な日本園芸が評判を呼んでいたそうです。浮世絵や漆器などと共に語られることの多い「ジャポニズム」は、美術工芸だけでなく幅広い文化や慣習、世界観にまで深く入り込んだものだったといいますが、植物文化もまた、芸術家たちに大きなインスピレーションを与えていたのですね。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
[おすすめの作品]
◎「レイナルド・アーン ピアノ曲集」ロール・ファヴル=カーン プロピアノ(キングインターナショナル)
CD / MP3
*あいにくCDは再入荷の見込みなしということですが、全曲視聴可能です
レイナルド・アーンはプルーストの親友。パリでサロン音楽家として、また舞台音楽や指揮、パリ・オペラ座の音楽監督としても活躍した人物です。このアルバムはブルジョワのサロン・ムードたっぷりで、上流社交界の人々の間で親しまれた絵画、音楽、文学などの流行が巧みに反映され、きっとオシャレなサロンの通たちを沸かせたことでしょう。クールな演奏がよく似合っていると思います。
[参考]
◎「抄訳版 失われた時を求めて」全3巻セット マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳 集英社
*本文引用部分
巨大な作品の重要な場面を抜き出して粗筋でつないだコンパクト版。はじめは邪道ではないかとも思いましたが、手にとってしみじみと、翻訳者鈴木道彦氏の「みすみす20世紀最高の作品を手に取ることなく終わるくらいなら、せめてこの3冊を繙いていただきたい」「さらに『失われた時を求めて』の全体を読もうという気持を読者に与えるものであってほしい」という強い思いと情熱に深く共感しました。旅先へのお供に良く、お気に入りの場面を気紛れに開けばあっという間に時空を越えた記憶の旅に出られます。そういえば、私は新婚旅行にも持って行きました。全訳版は個人による2大訳が長年読まれてきましたが、近年新しい訳も2つ出始めています。
◎「日仏交感の近代」宇佐美斉 編著 京都大学学術出版会
*菊の花の錦絵に付けた[写真]コメントの参考にしました
近代フランスと日本の交流がどのような創造的成果をもたらしたのかを、各分野の専門家が文学、美術、音楽の領域を横断して考察。
◎「音楽家プルースト」ジャン=ジャック・ナティエ著、斉木眞一訳 音楽之友社
プルースト作品を音楽で解く一冊。音楽ってなんだろう、言葉ってなんだろうという漠然とした問いにたくさんのヒントを与えてくれます。著者は音楽記号学という学問分野の先駆者で、音楽と言葉の関係をめぐる問題を研究テーマの基本にしているそうです。
◎「プルーストと音楽」藤原裕著 皆美社
文章全体がプルーストや当時のフランス文学世界のムードを色濃く醸し出していて、心底「プルースティアン」に浸ることのできる一冊です。あいにくAmazon含め、入手できるところを見つけることが出来ませんでした。
◎「プルーストの花園」マルセル・プルースト著、マルト・スガン=フォント編・画、鈴木道彦訳 集英社
物語の中で重要な役割を演じる花々の美しい画集であり、詞集でもある大型のアルバム。季節ごとに花と詞を眺めて楽しむことができます。
◎「プルースト 花のダイアリー」マルセル・プルースト著、マルト・スガン=フォント編・画、鈴木道彦訳 集英社
「プルーストの花園」と同じくプルーストの花と詞のコンパクトな本。「ダイアリー」のタイトル通り自分の言葉を書く欄があります。
[関連記事]
◎「リズムの本質」
「リズムの喜びはどこからくるのか」プルーストが言葉で紡いだ音楽には、彼独特のリズムが宿っています。
◎「永遠を刻む」
プルーストは「記憶」を行き来してトキを自由に操り、意識を頑なな時間から解き放ちました。「永遠を刻む」では、同じく時間を自由に操る名人であるインド音楽を取り上げています。
◎「恋の音楽」
「失われた時を求めて」でも大きなテーマとなっているものの一つ、恋。ここでは、やまとことばと日本の古典音楽で恋を辿ってみました。
◎「深呼吸と音楽」
プルーストは海からも大いにインスピレーションを受けて言葉を紡いだそうです。海のリズムと、かつて魚だったヒトのつながり、そして宇宙との切っても切れない関係について書いています。
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