心地よく笑う。とてもシンプルなことなのですが、仕事や社交から国際問題に事件、事故のニュース・・ともすると鏡の中の顔は仏頂面で、はっとすることがあります。そんなわけで、意識的に「笑う時間」をつくっています。録画しておいたお気に入りのコント番組をみたり、落語や漫才、吉本新喜劇を観たり。最近の研究では、笑うと疲れにくくなる、癌になりにくい、胎教に良い、など様々な効用があるとのことで、その仕組みが科学的に調べられているそうです。
◎リズムと笑い
先日ある対談記事でザ・ドリフターズの高木ブーさんが「笑いにはそれぞれリズムってもんがあって、ドリフの笑いはバンドマンだからこそできる笑いだったんだ。」とか「(コントは)それぞれのリズムにこそ面白さがある。」(「FILT」Vol.70 シコウ倶楽部より)と言われていて、思わず身を乗り出しました。笑いのリズム。そうであれば、リズムつながりで音楽にも笑いがあるはず。
などと考えていてふと、コントユニット・ラーメンズの小林賢太郎氏がソロコントプロジェクトのポツネンとしてNHKの番組で披露していた「御存知!擬音侍 小野的兵衛」(ごぞんじ!ぎおんざむらい おのまとべえ)という、とても原始音楽的(?)なコントを思い出しました。タイトルからして一応時代劇コントなのですが、セリフは一切なくて映像と「ガラガラ」「ササッ」「ギロリ」「カチーン」「ムカッ」などの擬音語(オノマトペ)だけでストーリーが進行してきいます。時代劇に必須の殺陣シーンでは、なんと主人公侍の小野的兵衛と敵役は一切映らず、脇役だけが画面上にゾロゾロいます。視聴者は脇役のリアクションと擬音語で殺陣をイメージするのです。映像が旋律で擬音語が拍子といった趣きで、淡々としながらも間の抜けた擬音語の調子がなんとも可笑しく、ポツネン独特のタクトが効いていました。そして、これは音楽にとても近いコントかもしれないと思いました。
◎笑いの起源
何気なく「お笑い」などと呼んでいますが、笑いとは一体何で、どこから来たのでしょうか。調べてみると、れっきとした由来がありました。古代漢字の研究で有名な白川静氏によると「笑」という漢字は、巫女が両手をあげて笑いながら舞い踊り、神を楽しませようとする様子をかたどったものなのだそうです。日本各地で、神を祭った儀式歌舞に笑いが欠かせないものだったという例が数多くあることから、笑いは古代かなり重要な要素となっていたようです。「日本書紀」にも、古くから神に酒や土地の産物を献上する時には歌い、笑ったということが記録されています。
なぜ笑いを神に捧げたのかというと、それは古代の人々が最も恐れた自然現象の一つである雷に理由があります。民俗学者の柳田國男によると、雷とは「神鳴り」で、その音は天の神様の笑い声と考えられていました。地上の人々は、何よりも恐るべき目に見えない神を敵にしないよう、ご機嫌を取るために笑いを奉納し、安穏を祈りました。神という漢字の「申」は稲妻をかたどった象形文字からきているそうです。それにしても、神社ではお賽銭の小銭をなるべく派手な音がするようにたくさん投げるべしとされているし、拝殿には大きな鈴がぶら下がっているし、神楽では巫女が手に鈴を持って舞います。鈴の音を通して神とつながるそうですが、そこへさらに笑いもついてくる。こうして考えてみると、神と人との交わりは、目に見えない音が魂になっているようです。
◎日本最古の笑い話
笑い話の最も古いものは712年に成立した「古事記」に出てきます。あるとき、太陽のようにこの世を明るく照らす天照大神(あまてらすおおみかみ)という女神が、もめごとがあって天岩戸(あまのいわと)という場所に隠れて出てこなくなってしまいました。世を照らす女神がいないので世界は真っ暗闇に。さて困ったと八百万の神々が集まって悩んでいたところ、天宇受売命(あめのうずめのみこと)という女神がお立ち台の上にあがって裸踊りをし始めます。それを見た八百万の神々はどっと笑いました。その騒ぎを天の岩戸の中で聞いていた天照大神は、外の様子をちょこっと覗き見します。すると、戸の外側にいた手の力の強い天手力男神(あめのたぢからおのかみ)という神が天照大神の手を引っ張って外へ出し、岩戸の中に戻れないようにしました。天照大神が出てきたので、世界にはふたたび光が戻ってきました。そのとき光が神々の顔面を白く照らした、つまり「面」が「白」くなったということから、「面白い」という言葉が生まれたそうです。天宇受売命と言えば、テレビ番組「新婚さんいらしゃい!」でおなじみ、落語家の桂三枝師匠が二年前に「六代桂文枝」を襲名するとき、伊勢の猿田彦神社で導きの神様・猿田彦大神と芸能の神様・天鈿女命(あめのうずめのみこと)に「笑い奉納」をしたそうです。この天鈿女命が裸踊りをした女神、天宇受売命のことです。
◎音霊のゆくえ
こんなに大事で、歌と踊りと密接につながっていた「音霊」(おとだま)ともいえる笑いが、どうして古代から現代に至る日本の音楽シーンで連綿と発展して、吉本新喜劇のように幅を利かせていないのでしょうか。その背景の一つには、「音霊」の時代から「言霊」(ことだま)の時代に変わっていったことがあるといいます。
「音霊」の笑いと違って「言霊」の笑いは、古とつながって今に生きています。落語家の桂文珍師匠によると、平安時代の「今昔物語」や鎌倉時代の「宇治拾遺物語」などには、いまの落語のもとになったような話がたくさんあるそうです。また、古代の天邪鬼(あまのじゃく)が源流にある平安時代の芸能、千秋万歳(せんず まんざい)では「ボケ」役と「ツッコミ」役がちゃんとあって、「ボケ」役は真面目なセリフの意味を取り間違えることで笑いを取ります。まるで漫才コンビの「ナイツ」みたいです。このように「言霊」の笑いは、時空を超えてその面白さを共有しているのですね。
もし「笑う音楽会」がまるで寄席のように、なんばグランド花月のように日常にあったら、是非通いたいです。目には見えない「幸」や「福」。健やかな心と体をもたらしてくれるもの。笑いは、世の中の大勢が決めてかかる、おカタイ規則や形式、慣習を崩したり離れたりすることで生まれるといいます。ふたたび民俗学者の柳田國男の言葉をかりると「高笑いを微笑にしてくれる」笑いや「本当に静かで朗らかな生活を味わうための」笑いを音楽がもたらしてくれるとしたら、それはいったいどんな音なのでしょう。
“笑う門には福来る”。
[写真]
◎『画図百鬼夜行』より「木魅(こだま)」 鳥山石燕画 1781年頃
出典:ウィキメディア・コモンズ Licensed under Public domain ISBN 4-0440-5101-1.
日本では古来、神の末裔が妖怪とされ、各地に伝承があります。目には見えない音でやってくる神の一例がこの「木魅」(こだま)ではないでしょうか。「百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ」。百鬼夜行の画集を眺めていると、妖怪の姿はなんとなくチャーミングで、時に笑いを誘います。古の人々は、目に見えない八百万の神々への恐れをこのようなかたちにして笑うことで、得体の知れない恐怖とも心安らかに向き合うことが出来たのかもしれません。
[おすすめの音楽]
◎松平敬
愛媛県出身の、声によるパフォーマー。バリトン。「バリトン歌手」「声楽家」という肩書では説明する側がすっきりしない、声による多彩な作品を演奏している方です。「笑い」にも、声作品の本質的な素材の一つとして向き合っておられます。初めて演奏会へ行ったのは10年以上前のことで、大変な衝撃でした。楽器としての声の自由度と色彩の無限の幅を思い知らされました。演奏会は驚きと心地良い笑いの連続です。変幻自在な声を操って、男から女へ、ノイズから音楽へ。言葉と意味と音と響き・・縦横無尽に繰り広げられる声の旅が約束されます。HPからは、彼のYouTubeチャンネルで様々なパフォーマンスを鑑賞することができます。
*松平氏のデビュー作「MONO=POLI(モノ=ポリ)」は、つべこべ言わずにとにかく聴いて欲しいアルバムです。彼のたったひとつの声だけでソプラノからバスまでの全声部を歌い、多重録音して重ねに重ねられた恐るべき電脳アカペラアンサンブル。800年に渡る声の時空間を一挙にトリップします。キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」に使われた有名な曲、リゲティ「ルクス・エテルナ」は16声部ですが、これも一人です。そして抜群の浮遊感を味わえます。アルバムまるごと一気に5分で試聴できます。
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モルドヴァ出身のヴァイオリニスト。初めて彼女のパフォーマンスをみたとき、あっという間に恋に落ちてしまいました。舞台で裸足に赤いコスチュームを纏った姿は、どこか古代遺跡の壁画に描かれている楽師のような雰囲気。彼女の演奏において、古典作品と現代作品の区別をする意味はありません。時空を軽々と超え、作曲家が楽譜に描いた本質を表現してみせようとする熱意が音になって伝わってきます。このコラムの本文で、形式や慣習といった常識が崩れた時に笑いが生まれるということを書きましたが、まさにその体現者です。HPにパフォーマンスの映像がありますが、観客が好奇心いっぱいの微笑みを浮かべて、まるで言葉を知る前の子どものように、無邪気に笑う光景が目に入ります。一方で自由自在なパフォーマンスは、日本のクラシック音楽評論家たちから酷評されてもいます。評論家たちが不愉快になるのは、もしかしたら「あるべき」音楽の姿や基準がぶち壊されるとき、自分自身の積み上げてきた確固たる音楽史や音楽観まで崩壊してしまうことが恐ろしいからなのではないかと想像しています。それを自分で笑うか笑わないかが問われます。
[参考]
◎「ちくま日本文学015 柳田國男」柳田國男著 ちくま文庫
*「笑いの本願」を参考にしました
1875年兵庫県生まれの柳田は民俗学を深めて「遠野物語」などで有名ですが学問は本業ではなく、東大法学部を出てエリート官僚の道を歩みながら、一方で生涯民俗学の研究を続けた人です。
◎「落語的笑いのすすめ」桂文珍著 新潮文庫
桂文珍師匠の慶應義塾大学での講義をまとめた文庫版。文字になっても語りの調子は充分に伝わり、面白くあっという間に読んでしまいます。
◎「笑いの日本文化」樋口和憲著 東海大学出版会
古今の笑いに関する研究や書物が多数紹介されています(文献リストは付いていません)。
◎「笑いの世紀」日本笑い学会編 創元社
日本笑い学会は20年前に設立された学会で、研究機関の専門家だけでなく一般人も学生も参加できるそうです。会員は1000名を超え、全国に支部があって活発な活動をされているようです。この本は学会設立15年目に出版されたもの。このコラムでは笑いと健康にまつわる部分を参考にしました。
[関連記事]
◎「リズムの本質」
「リズムの喜びはどこからくるのか」リズムは笑いとも切り離せないようです。
◎「永遠を刻む」
旋律と時間を自由に操る名人であるインド音楽を取り上げています。「おすすめの音楽」でご紹介したヴァイオリニスト・パトリチア・コパチンスカヤの演奏を聴いていると、何故かインド音楽を思い出します。
◎「祇園祭の音風景」
アジアの祈りの音「コンチキチン」。祭の音は、笑いと最も近いところにあるかもしれません。