2014年7月9日水曜日

祇園祭の音風景

 

“コンチキチン”。京都では、祇園祭の7月に入るとお囃子の音が山鉾町の界隈に響きます。今年の祇園祭では49年ぶりに「後の祭」が復活、また、1864年の禁門の変で多くを焼失して以来巡行に出ていなかった船鉾が、150年ぶりに「大船鉾」として復興するとあって、ひときわ賑わうことでしょう。

私が生まれ育ったのは京都でも「洛外」に位置する嵐山方面なのですが、6月にもなると「もうすぐ祇園さんのお祭どすなあ」という時候の挨拶が街のあちらこちらで交わされ、少しずつ祭の気分が高まっていくのは街の中心地と同じ。中学、高校生の頃は学校でも「祇園祭、もうすぐやなあ」「宵山、どうする?」と皆、楽しみにしていました。そして、気になる子をデートに誘う方便として、祇園祭は格好の催しなのでした。

今回は祇園祭の“コンチキチン”をテーマに、京都の音風景を旅してみようと思います。種としたのは「平安京 音の宇宙」という本です。著者の中川真氏はジャワガムラン・アンサンブル「マルガサリ(MargaSari)」の代表で、サウンドスケープ、民族音楽の研究者、大学教授として活動されている方です。「平安京 音の宇宙」は初版が1992年春、そして私の読んでいる増補版はちょうど今から10年前の七夕の日に発売されました。


◎祇園祭、1000年を超える歴史
祇園祭の由来は、最も古い記録としては863年の御霊会という怨霊を鎮魂する儀礼に遡るといいます。当時は平安京のあちらこちらで催されていたそうですが、後の祇園祭に直接つながる祇園御霊会は869年に催されたもので、日本66カ国にちなんだ66本の鉾を立てて祭神を祀り、京の男児が神泉苑という庭園に霊を送ったのが始まりとされます。その後、応仁の乱で33年間の中止があったり、江戸時代の大火で多くの山鉾を焼失したり、さらに太平洋戦争で中止となったり・・様々な困難がありながらも町衆の力で連綿と続き、今日に至っています。

檜扇 本草図譜


◎“コンチキチン”という呼び名
「平安京 音の宇宙」で面白いのは、祇園囃子の音が何故、笛の“ピーヒャララ”でも太鼓の“テレツクテン”でもなく、鉦の“コンチキチン”と呼ばれているのか、という素朴な疑問に深入りしていくところです。ところが、祇園囃子の歴史と起源を考証するための資料は非常に少ないのだそうです。


◎祇園囃子の鐘の声
“コンチキチン”の囃子方は、鉦、締太鼓、能管(笛)という編成です。江戸時代に描かれた屏風や図会などを見ても同じで、少なくともこの頃は現代と同じような音響でお囃子が鳴り響いていたと考えられるようです。一方、祇園囃子の鉦と同じような楽器は、雅楽でも鉦鼓と呼ばれ、現在も奏でられています。また、有名な一遍上人の踊り念仏でも、鉦と同じ形のものが法器としても用いられていたことが、当時の絵図からわかるといいます。

古代日本では、管・弦・打楽器が祭祀などに使われていたことが判っていますが、中でも銅鐸などの金属器が儀礼で特別な機能を果たしていたことが明らかになっているそうです。それは、金属精錬の高度な技術をもつ鍛冶師が神と同等の存在とみなされたことや、金属楽器の発する音量と音色、そして余韻といった独特の性質が重なって、金属質の音が超自然との霊的な交わりを可能にする存在になっていったことが背景にあると考えられています。梵鐘はその象徴的なものです。

“コンチキチン”という言い慣わしは、古来人々の心奥に潜む金属音への意識が反映され、受け継がれてきた結果ではないか。そこには祇園会という儀礼に対する根源的な考え方が表明されている、と中川氏は言います。


◎アジアの“ゴングチャイム文化”
銅鐸をはじめ、金属の優れた精錬技術は南方の渡来人によって日本にもたらされました。その南方、とりわけ東南アジアを中心とする地域では、金属の「楽器」としての機能が大きく発展し、音楽がつくり出す時間軸には共通点があるといいます。それは螺旋状に円環する時間構造で、似たような旋律やリズムのパターンが延々と繰り返される音の世界です。様々な金属楽器類の複雑で洗練された音楽と儀礼の融合した文化は、楽器名にちなんで「ゴングチャイム文化」と呼ばれているのだそうです。中川氏は、ゴングチャイム文化圏の南端をバリ、ジャワのガムランだとすると、もう一方の端に、やはり音楽と儀礼が深く関わる祇園囃子の“コンチキチン”がある、と推測しています。

周期性や反復という音楽形式はインドの古典音楽なども思い起こしますが、金属音が超自然的な作用を生む、という意味付けは古代中国に源をもつ青銅器、鉄器など金属器文明の発達した東アジア的文化の産物と見られるのだそうです。


◎遙かなる祇園囃子の音
確かに、宵山で祇園囃子を間近に聴くと、めくるめく音の渦に巻き込まれてしまいそうになります。特に最も人の集まる四条烏丸の交差点では、林立するビルに“コンチキチン”が反響して、しかもそれが夏の京都の猛烈な蒸し暑さと一緒になって、南の島の熱気とガムラン音楽を思わせます。祇園囃子は「雅び」とか「優美」とはちょっと違うのかもしれません。

祇園囃子が格別日本的なものでも京都的なものでもなく「汎アジア的」な音で、はるか海を越えたジャワやバリのガムランの音と、根っこの部分で繋がっている・・アジアの祈りの音が、京都の街々に響き渡っている・・そう考えると“コンチキチン”が、定型の「京都らしさ」からふわりと離れ、その奥に秘められていた遙かなる音の風景を描き始めます。

ともあれ、祇園祭は水を清める水無月祭。そして水の災いは古の出来事ではありません。この夏、どうぞ水が静かに清められますように。


[参考]
 ◎「[増補]平安京 音の宇宙 サウンドスケープへの旅」中川真 平凡社
  物語のはじまりはニューヨーク、マンハッタンの一角に現れる15世紀ニューヨークの森。この小さな森は「TIME LANDSCAPE(時の風景)」という名のエコロジー・アート作品で、植民地以前のニューヨークの原風景を再現するアート・プロジェクトです。中川氏はこの作品に刺激を受け、自らが暮らす京都の原風景を求めて、下鴨神社に広がる原生林「糺の森」へ足を踏み入れ、この森に響く音の風景から音の宇宙へ、コスモスからカオスへと、サウンドスケープの旅をすることになります。

[祇園祭の情報]
 ◎京都新聞 祇園祭特集
  祇園祭にお出かけになる際に役立ちます。

[関連記事]
 ◎「沈黙の音楽」
  モンポウのピアノ曲「沈黙の音楽」と鐘の音について書いています。

 ◎「良い音」
  人はカラダのどこで音を聴くのか?というお話の中で、ガムランのことも引き合いに出しています。

 ◎「整える音楽」
  音とカラダ、方角、惑星や季節などとのつながりをあらわす五行思想をご紹介しています。ちなみに「平安京 音の宇宙」の本文中でも触れられていますが「金属音」は西方、つまり浄土とつながっているところにも、古の金属楽器に込められた意味がありそうです。

[写真]
 ◎檜扇の花
 祇園祭の花、檜扇(ヒオウギ)。古来、邪気払いの花とされてきました。祇園祭の時期には、山鉾町界隈の多くの玄関先におまじないの檜扇が飾られています。葉はその名の通りまるで扇のような形。秋に漆黒の実を結び、深い艷やかな黒色は古代中国の神話に神の使いとして登場する黒鳥になぞらえられ、「ぬばたま」という呼び名で、漆黒の霊力に恋の想いを託した多くの万葉の歌の枕詞となっています。
 出典:「本草図譜 巻20」岩崎常正 本草図譜刊行会
 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

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