本日は旧暦で水無月三十日、夏越の祓です。
夏越の祓といえば茅の輪潜りです。茅の輪潜りは、年の前半に積もった穢れを取り去り、煩悩を払いのけて身を清め、知恵を授かるという祓い事です。私自身、既に新暦の6月末に京都の松尾大社で茅の輪潜りをして、またその後にも大分の宇佐神宮へ行く機会があって茅の輪潜りをしたので、回数の問題ではありませんが、まず十分な清めの力をいただいたと思っているところです。茅の輪の左右には笹竹が立てられていて、さわさわと揺れる笹竹は秋の訪れを感じさせ、もうすぐ夏の土用明け、立秋も近いことを思い出しました。
そのようなわけで、今回の万葉植物で鍵となるのは茅の輪に使われている「茅萱」です。
※写真は先月入梅の後すぐにいけたものでなので、紫陽花なども含みます。
◎茅萱(ちがや)
茅萱は万葉集の中に二十数首登場します。その中で次のような恋の歌があります。
戯奴がため我が手もすまに春の野に
抜ける茅花そ食して肥えませ巻第8 紀郎女
「あなたのために春の野へ行き、私の手で摘んだ茅萱です。どうぞ召し上がってお肥りになってくださいませ」
この紀郎女の歌に対する大伴家持の返事が続きます。
我が君に戯奴は恋ふらし賜りたる
茅花を食めどいや痩せに痩す巻第8 大伴家持
「我が君に、私は恋をしているようです。せっかくいただいた茅萱を食べてもなお一層痩せていくばかりです」
紀郎女が「春野」と言うように、茅萱摘みの季節は春です。若草が15cmくらい芽生えたところを摘んでかじると甘いそうです。また、根茎は薬草としても活用され、止血、利尿、解熱の効果があるとされています。さらに、生長した葉は刈り取って縄やむしろになりました。
一方、茶花などの花材としては秋の花に分類されています。今回いけた茅萱のように綿状の穂となるのは秋で、これを鑑賞するからでしょう。
秋風の寒く吹くなへわが屋前の
浅茅がもとに蟋蟀鳴くも巻第10 作者未詳
「秋風がうす寒く吹くとともに、我が家の庭の浅茅のもとで蟋蟀が鳴く」
浅茅は、茅萱の背丈の低いものを指します。
◎藪萱草(やぶかんぞう)/萱草(わすれぐさ)
中国では古くから、妊婦が萱草の葉を腰帯として結ぶと陣痛を忘れることができるとされ、その他にも憂いを忘れるおまじないに用いられてきたことから「忘憂草」という異名があるといいます。若葉、茎、根は食用にされてきました。先日いけた時に根の白い部分をかじってみたところ、無花果のごとき甘くしたたるような風味がありました。まだ若葉が出始めた頃の根が美味だそうで、酢みそ和えなどにすると良いと聞きます。中国の「延寿書」という書物には「この草の苗を食べれば人は陶酔したようになる。それ故に忘憂と名付けられた」などと書かれているそうなのですが、このなんとも魅惑的な甘い瑞々しさからそのような名前に至ったのかもしれません。最近偶然にも萱草の花芽を乾物にしたものに出逢いました。台湾の精進料理に用いられるそうで、薬膳スープにすると大変旨味があり、貴重なごちそうでした。
萱草わが紐に付く香具山の
古りにし里を忘れんがため巻第3 大伴旅人
「萱草を私の下紐に付けるのは、香具山のある古い都を忘れようとするためなのです」
この歌は、大伴旅人が九州の太宰府に赴任し、奈良の都が思い出されて仕方がないために、それを忘れようと詠じたものと言われます。
◎笹百合
笹百合は日本原産の百合で、別名さゆりと呼ばれます。万葉集の中に出てくる百合は、関東地方で詠われたものでは箱根百合などの山百合系を指し、中部より西の方では笹百合系を指すとされています。笹百合は古事記に登場し、その伝承は今も奈良の率川(いさがわ)神社で三枝祭(さいくさのまつり)、ゆりまつりとして受け継がれているといいます。
道の辺の草深由利の花咲に
咲まししからに妻といふべしや巻第7 作者未詳
「道ばたの草深い繁みに咲く百合の花のように、たまたま微笑んだからといって妻と決めないでください」
咲く百合を「花笑(=微笑み)」にたとえて、ただ微笑んだからといって妻と呼ばないでください、と女が非難の気持ちをこめて男から贈られた歌に返しています。この歌のたとえのように、百合は「笑み」をあらわす代表的な花です。
今年の初夏には「花笑み」の姿を一目見ようと、恵那峡の方にある笹百合の自生地へ出かけました。笹百合は大変繊細なので、近くにアスファルトの道などができてしまうと、太陽で高温になったアスファルトの熱が土を伝わって根を痛め、ついには枯れてしまうそうです。そのため、多くの自生地で笹百合が減少しているのだそうです。自生地の笹百合はまさに草深い繁みにゆらゆらと揺れて、いかにも花笑みの乙女の姿でした。
◎紫陽花
古来、紫陽花というと額紫陽花のことを指し、万葉の人々は萼の内側に咲く藍色の小花が密生して満開になったときの鮮やかな藍色を愛でています。あじさいの「あじ」とは集(あず)が転訛したもの、「さい」は真藍(さあい)の縮まったもの。つまり、真の藍がたくさん集まったものが「あじさい」となります。
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にを
いませ我が背子見つつ偲はむ巻第20 橘諸兄
「紫陽花が八重に重なり集まって咲くように、末永く健やかであってください、あなたよ。紫陽花を愛でながらあなたを憶いましょう」
この歌のように「八重咲く」というのは今で言う八重咲きの意味ではなく、花が密集して咲くさまをいいます。古来「お重」や「十二単」など、重ねに美しさをみる文化がありますが、万葉の歌にも「八重」のように重ねの美が多く登場します。
夏越の祓の7日後は七夕です。新暦の七夕の頃はお天気に恵まれず天の川をみることは叶いませんでしたが、旧暦の笹の節句である文月七日(新暦8/2)の七夕に星空を期待しているところです。
[参考書]
「紀州本万葉集 巻第8」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能
「紀州本万葉集 巻第10」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能
「紀州本万葉集 巻第3」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能
「紀州本万葉集 巻第7」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能
「紀州本万葉集 巻第20」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能
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[写真]
◎茅萱、藪萱草/萱草、笹百合、紫陽花
◎笹百合 撮影地:恵那峡