2014年6月25日水曜日

恋の音楽

 

古今、様々なかたちで描かれる恋。今回は、恋を日本の古典音楽で味わってみようと思います。

 

“恋の定義”
偉大な国語学者、大野晋による「古典基礎語辞典」を引くと、やまとことばの「恋」とは、離れていて心を寄せている相手にひかれ、しきりに会いたいという切なる心持ちがつのることを表すといいます。特に時間的、空間的に離れている相手に身も心も強くひかれる気持ちを表し、時には比喩的に、対象が動植物や場所になることもあります。また、「恋ふ」というのは身も心も惹かれ逢いたい気持ちが募る、という意なのですが、この思いは相手に働きかける“主体的”なものではなく、相手によって惹きつけられる“受動的”なものであると、古の人たちは捉えていたそうです。つまり「恋」はすべからく片想いであるべし、ということになります。この定義が心にすとんと落ちる、樋口一葉の恋の歌をご紹介します。

玉すだれかけ隔てたるのちにこそいよいよ人はこひしかりけれ

 

“恋の音楽”
恋の音楽として私が真っ先に思い浮かべるのは「鹿の遠音」という尺八の本曲です。「本曲」というのは江戸時代につくられて今日まで伝わる尺八の古典曲のことです。かつて文部省(現在の文部科学省)共通鑑賞教材に選定されていた曲なので、学校で聴いたことのある方もいらっしゃるかもしれません。雄鹿と雌鹿が奥山で啼き交わす声が、二人の奏者による掛け合いで描かれています。


“笛は時空を超える”
尺八の音は宇宙そのもの、とも言われます。平均律や、それをこわす無調、そしてエレクトロからも全く外れている不思議な音。これは、古今尺八曲の奏者として名高い横山勝也氏の言葉を借りると「生命的エネルギーを呼吸力に充満させ、自己を音化すること」によって鳴り響く音です。

もともと「笛」という楽器は「あの世」「神」「大地」といった人智を超えた存在と交感するための道具として使われてきました。笛を吹く、ということは言わば超能力を得ること。能の舞台で吹き鳴らされる能管を思い浮かべると解りやすいのですが「奏す」というよりも「叩きつける」とでも表現したほうがしっくりくるような笛の音には、時空を一気に変えてしまう強い力があります。「自己を音化すること」とは「自分自身の魂ごと音になってしまう」ことでもあります。


“SFアニメに響く「鹿の遠音」”
名作SFアニメシリーズ・ガンダムの劇場版作品「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編」に、深く印象に残るシーンがあります。主人公の少年アムロ・レイが出会った運命の少女ララァ・スンと、宇宙戦争の舞台でふたたびめぐりあい、たがいの魂の叫びを交わす場面です。このシーンでは同時に、主人公アムロの宿命のライバルである青年シャア・アズナブルと、生き別れになった妹セイラ・マスとの「めぐりあい」も絡み合い、それぞれの存在を切に恋う想いが宇宙を舞台に巧みに描かれています。彼ら彼女らは、まるで宙でめぐりあう星々のよう。私の頭のなかでは、いつの間にか「鹿の遠音」が響き出していました。先の横山勝也氏は、「本曲は天空の星のごとく」と言われているので、この場面で「遠音」が鳴り響いたとしても、あながち外れていないような気がします。

ShootingStar


“野沢尚と恋の向こう”
亡き脚本家で小説家の野沢尚氏に「ふたたびの恋」という作品があります。この作品は小説と舞台がほぼ同時に公開されました。どちらも鑑賞したのですが、私の知る限り小説の初版には無いシーン、舞台にだけ用意された主人公の忘れられない言葉があります。

主人公は休暇でオフシーズンの沖縄へ来た「過去の」大物脚本家。そこにかつての恋人が現われる。彼女は「恋愛ドラマの教祖」と呼ばれる売れっ子脚本家で元教え子。リゾートホテルで偶然再会した二人は、共同で公共放送ドラマの脚本のストーリーをつくることになるが・・。

物語の中で二人が脚本を練るシーンの大詰め、主人公が女に「そのドラマに、祈りはあるのか?」と絞るように質します。女はピンと来ない。ここで主人公のいう「祈り」とは、つくり手が受け手に贈るもの。

「いいか、祈りだ。・・このドラマがあなたにとって、素晴らしい時間でありますように。未来への希望でありますように。見た後、周りの人に優しくなれますように・・そういうドラマを受け止めてくれ、がっちりその手でつかんでくれと強く祈らないでどうする。」という主人公に、女は「顔の見えない相手よ。シャドーボクシングよ。万人に対して祈れって言われたって・・。」と返してしまいます。

私は野沢尚氏のいう「祈り」の意味や彼の描いた「恋」について、作品が公開された2003年の夏以来、折にふれて思い出し、考えます。やまとことばの本来の意味である孤独な恋、一方通行の想い。野沢尚氏は「恋」を描きながら、人と人が幾度めぐりあっても、ついに通じ合えない宿命であることを暗示していたのではないか・・とも思われます。

そんなふうに恋の向こうに見えるものを考えると、「鹿の遠音」の音は、もしかしたら「いまひとたびの」と念じる出会いと別れ、それぞれの切なる想い、交わす言葉と言葉・・そしてつまるところ、コミュニケーションの本質をあらわしているのかもしれません。


[参考]
 ◎「古典基礎語辞典」大野晋編 角川学芸出版
  このブログではたびたび登場していますが、やまとことばを知る辞典です。

 ◎「尺八楽の魅力」横山勝也 講談社
  1985年に出版された、横山勝也氏の半生記。「本音」が生々しく書かれていて、氏の深い呼吸に触れるような一冊です。2010年4月21日、横山勝也氏は星になってしまいました。享年75。今頃は新しい銀河の住人となって、相変わらず吹いていらっしゃることでしょう。

 ◎野沢尚公式サイト

 

[おすすめの作品]
 ◎「鹿の遠音/尺八古典名曲集成」横山勝也 横山蘭畝
  企画・販売:TOWER RECORD 制作:BMG JAPAN
  1976年録音のLP2枚組から再編集された古典本曲集CD。父上である横山蘭畝との「鹿の遠音」は父子の魂が触れあい、切なくもぬくもりの伝わる音楽です。

 ◎「ノヴェンバー・ステップス」SONY MUSIC JAPAN(RCA RED SEAL)
  小澤征爾指揮、トロント交響楽団。横山勝也の尺八と鶴田錦史の琵琶をメインとした武満徹「ノヴェンバー・ステップス」他、収録。1967年11月、横山勝也、鶴田錦史両氏は、ニューヨーク・フィル創立125周年記念に世界初演された武満徹「ノヴェンバー・ステップス」でメインとなる尺八と琵琶を務め、西洋音楽中心の世界へ向けて、東洋の圧倒的な音宇宙を強烈に発信することになりました。このアルバムに収録されている「ノヴェンバー・ステップス」は、その世界初演の1ヵ月後に録音されたものです。

 ◎「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編」バンダイビジュアル
  SFアニメ「機動戦士ガンダム」のTV放映版を劇場用に再編集した三部作の三作目。

 ◎「ふたたびの恋」野沢尚(単行本) 文藝春秋

 ◎「ふたたびの恋」野沢尚(DVD) パルコ
  野沢尚氏も今は亡きひと。氏自身の「祈り」は多くの人たちに伝わっているはずです。

 ◎「Self-Notes」岩代太郎 キングレコード
  舞台「ふたたびの恋」のテーマ曲「Let Always Be」収録。

 

[関連記事]

 ◎「恋と愛の違いとは」
  恋と愛の違いについて、やまとことばから詳しく書いています。

2014年6月11日水曜日

リズムの本質

 

音楽の快楽について語るとき、私たちは何気なく「リズム」という言葉を使います。でも、いざリズムの意味を明確に把握しようとすると、意外に簡単ではありません。「リズムの喜びはどこからくるのか」――今回は、そんな途方もないことを考えてみました。

「リズムの本質」という本があります。著者はルートヴィヒ・クラーゲス、1872年ドイツ・ハノーファー生まれの哲学・心理学者で、筆跡学を確立した人物です。

クラーゲスは、リズムについて考えるとき、同じような意味で使われている「拍子」(タクト)という言葉が異なる由来をもち、本質的に対立するものだということを前提として知っておかなければならない、と述べています。

リズム(Rhythmus)は、ギリシア語のrheein(流れる)に由来し、文字の意味どおりに解釈すると、流れるもの。つまり、いつまでも続くもの。一方、タクト(Takt)はラテン語のtangere(触れる、突く、叩く)に由来し、もともと音楽において弦を一様に叩くこと、あるいは弾くことの意味で、打楽器によるテンポの符号として用いられていたといいます。

リズムの語釈から思い浮かぶのは、星の運行、明暗、めぐる季節、覚醒と睡眠のサイクル、潮の満ち引き、呼吸、生と死、トキの流れ・・宇宙や自然に宿る生命のリズムです。一方で「一様に叩く」というタクトの最たるものは、人工的に刻まれる「時間」ではないでしょうか。世界共通の時間軸であるグレゴリオ暦、仕事のスケジュール、学校の時間割・・。

では、音楽におけるリズムとタクトは、どのように考えれば良いのでしょうか。興味深いのは、人間の内には「拍子づけて誰かに聞かせずにはいられないモチベーション」が生きている、というクラーゲスの主張です。そこで私が想像するのは、一様で単調な「タクト」をモチベーションにまかせて刻み合ううちに、いつしか互いの呼吸や風のリズムと交わる瞬間。ふとした「タクト」が原初のリズムを呼び覚ますこと。音楽によるリズムの喜びは、こんなふうにして生まれてきたのかもしれません。

ところで、タクトの筆頭にグレゴリオ暦を挙げましたが、日本では明治6年の改暦まで独自の暦を用いていました。当時の「トキ」は季節によって伸び縮みし、夏は昼が長く、秋は夜が長い。今でも「短夜」「夜長」という言葉が残っている所以です。この暦はタクトとリズムの巧みな組み合わせでつくられていたと言えます。

音楽や文学、美術作品などに没頭して説明の出来ないような心の震えが生じたり、直線で刻まれている「時間」からふわりと離れて宙に浮いたような気分にとらわれたことは、誰もが一度ならずあるのではないでしょうか。こんな出来事も、作品のつくり手による洗練されたタクトが、絶妙にリズムと結びついた結果なのでしょう。

おしまいに、クラーゲスが「リズムの本質」の最後に記した詩の一節をご紹介します。これこそがまさにリズムの極致だと思います。

 

時間を永遠となし
永遠を時間となせば
自由となれよう
すべての争いから

 

Demeter[参考]
 ◎「リズムの本質」ルートヴィヒ・クラーゲス みすず書房
  1923年に発表された論文が1933年にドイツで出版されて後に絶版となり、1944年に再版となったものが1971年に日本語訳で出版されました。

 別の訳も出ています。
 ◎「リズムの本質について」ルートヴィッヒ・クラーゲス うぶすな書院

 

 

 

[写真]

 ギリシア神話の五穀の女神デメテル(Demeter)

 彼女の持つ「刈穂」は、種から種へと生まれ出て連綿と流れつながる生命のリズムそのもの。刈穂は「完成」の象徴として、古の儀式に用いられました。
 出典:ウィキメディア・コモンズ

2014年6月6日金曜日

恋と愛の違いとは

 

日本には二つの「Love」があります。

一つは「恋」、もう一つは「愛」。

今日では「恋愛」という言葉が一般的ですが、古のやまとことばでは、二つは異なる意味で用いられていました。

思春期になると「恋」とか「恋人」という言葉がにわかに男女の間で盛んになるものですが、私はその頃から「恋」の定義、あるいは映画やドラマに出てくる「愛する」というフレーズ、そして「恋愛」という言葉に、何となくしっくりこないものがあると感じていました。分かるようでわからない言葉。「広辞苑」などの辞書、「Yahoo知恵袋」や「NAVERまとめ」などを見ても、納得できるような答えは得られず仕舞い。それが、2011年秋に刊行された「古典基礎語辞典」をじっくりと読んで、ようやく意味が明確になり、長い間のもやもやがすっきりしました。

「古典基礎語辞典」は偉大な国語学者、大野晋によるやまとことばの、文字通り基礎語辞典です。一つの言葉を説明するのに文字数の制限を設けず、必要かつ十分な解説がなされていて、やまとことばの成立や背景と変遷を、中古から中世にわたる実際の豊富な用例とともに知ることができます。たとえば、「あはれ」や「をかし」などは一つの言葉に対して1ページ以上にわたる詳細で丁寧な解説と語釈がついているのです。

 

◎恋の定義
この基礎語辞典によると「恋」とは、やまとことばにおいては、離れていて心を寄せている相手にひかれ、しきりに会いたいという切なる心持ちがつのることを表すといいます。特に時間的、空間的に離れている相手に身も心も強くひかれる気持ちを表し、時には比喩的に、対象が動植物や場所になることもあります。また、「恋ふ」というのは身も心も惹かれ逢いたい気持ちが募る、という意なのですが、この思いは相手に働きかける“主体的”なものではなく、相手によって惹きつけられる“受動的”なものであると、古の人たちは捉えていたそうです。なんとも奥ゆかしく、「恋」というやまとことば自体に恋してしまいそうです。

興味深いのは、万葉集の歌ことばにあてられている「恋」の漢字です。

君により わが名はすでに立田山 絶えたる孤悲(恋)の しげき頃かも

万葉集 巻17 平群氏女郎

「あなたのために、私の噂はすっかり立ってしまいました・・立田山のように。立(絶)田山のごとく逢瀬が絶えてしまって、激しい恋の思いがあふれているこの頃なのです」

「孤悲」という当て字は、まさに孤独に悶々と焦がれている様子をよく表しています。


「恋」の文字こそないものの、自然の風物の中に鮮やかに恋の思いを描いた歌もあります。

秋山の樹の下隠り行く水の 吾こそ益さめ 思ほすよりは

万葉集 巻2 鏡王女

「秋の山の、樹々の下に隠れながら流れてゆく水のように、見えないけれど、私のあなたへの恋の思いこそまさっていることでしょう、あなたが私についてお思いになるよりも」

 

Birdcage


◎愛の定義
一方「愛」は、仏教語として中国から渡ってきたもので、価値あるものを敬い、大切にするという意味があると同時に、一方では基本的に執着心を含み、目下の者や動物をかわいがるという意味をあらわします。 

この虫どもを朝夕にあいし給ふ

「堤中納言物語」より 虫めづる姫君

「この虫たちを、朝も夕もかわいがりになる」

有名な、虫好きのお姫さまのお話です。

 

◎Love
英語の「love」の訳語として「愛」が日本で使われるようになったのは明治時代からで、当時の英中辞典に記載されていた中国語訳の「愛」の語釈を取り入れたものとされています。つまり、日本では平安時代と明治時代の二度にわたって「愛」を中国から輸入したことになるのです。


「恋愛」と一つの語になっている今となっては、「恋」と「愛」の厳密な違いを意識することはほとんどありません。それでも、私は「愛しているよ」という映画やドラマの決め台詞に、日本語を母語とする人たちの根っこの部分が、無意識のうちに居心地の悪さを感じているのではないかと思うのです。


[参考書]

 「古典基礎語辞典」大野晋編 角川学芸出版
 「英語でよむ万葉集」リービ英雄 岩波新書
 「紀州本万葉集 巻第17」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能
 「紀州本万葉集 巻第2」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

2014年6月2日月曜日

万葉植物をいける:菖蒲・杜若・山藍

 

本日は旧暦で皐月五日、端午です。
菖蒲の節句ということで「菖蒲」を主としました。
※写真は先月立夏の後にいけたもので、杜若の代用として文目を用いています。

DSCN1437

 

◎あやめぐさ
菖蒲は、万葉時代に「あやめぐさ」と呼ばれていました。花の美しいアヤメ科の「あやめ」のことではなく、サトイモ科の葉菖蒲です。花はまるで蒲の穂のような茶色。江戸時代には「実」と呼ばれ、「実付きの葉」といえばあやめぐさを指したとのことです。

端午の前夜に菖蒲と蓬を軒先に吊るして翌日の節句を菖蒲湯にするのは、これらの植物の芳香で邪気払いをする習慣が中国から伝えられたことによります。古の人たちは、あやめぐさの「花」に力があると考えていたそうで、咲かないものからはエネルギーをもらうことができないとされていました。ですから、薬湯には「実付きの葉(もちろん根も)」を用いるのですね。

ほととぎす待てど来鳴かず菖蒲草
玉に貫く日をいまだ遠みか

巻第8 大伴家持

「杜鵑を待っているのに、まだ来て鳴かない。菖蒲を薬玉に挿し飾る端午の節句がまだ遠いからだろうか」 

古代薬玉の植物とは、さつき、せんだん、はなたちばな、蓬、菖蒲。花々の中央に麝香や沈香などの香薬を入れた袋を飾り、結んだ五色の糸を長く垂らして健康長寿を祈りました。五つの植物のうちさつき、せんだん、はなたちばなは予め造花でしつらえ、端午の当日に蓬と菖蒲の生花を挿して薬玉を完成させるのが古式なのだそうです。ぜひお手製の薬玉をつくってみたいものです。端午に飾った薬玉は、菊の節句のときに外します。


◎杜若

かきつばた衣に摺りつけ丈夫の
きそひ猟する月は来にけり

巻第17 大伴家持

「杜若の花を衣に摺り染めにして、きそって恋人を探し求める日が、いよいよ来た」

杜若は古代の染色ハーブ。邪気を払う呪力があるとされていました。花の青紫は邪気を払う色。衣に摺り染めにするのは、植物の生命力を身体に取り込み、自分のエネルギーにするためです。聖なる青紫色には、恋心に迷いも偽りもないという気持ちを込めたそうです。

「猟する」とは男性が馬に乗って薬用の鹿の角狩りをするという意味で、端午の薬狩は古の公の行事でした。一方女性は薬草摘みに園に出かけました。端午の節句は恋を成就させて成人になるための行事の日でもあったのです。


◎山藍
藍染めには古来、山に自生する山藍が用いられていましたが、タデ科の蓼藍が栽培されるようになってからは、そちらが藍染め用植物の中心になったそうです。

・・・紅の赤裳すそびき山藍もち すれる衣着てただひとり い渡らす児は若草の 夫かあるらむ・・・

巻第9 作者未詳

「紅染めの赤裳の裾を引いて、山藍で摺り染めにした着物を着て、ただ一人で橋を渡るあの娘には夫がいるのだろうか」

くれない染めと山藍染めの衣をまとった女性の、色彩の印象が鮮やかに浮かびます。

写真の山藍は、花が終わって実がついています。後に一輪挿しにして長い間飾っていたら、不意にパチンと音がして、種が次々と勢い良く弾け飛びました。葉の活き活きとした緑色といい種の勢いといい、強い生命力を感じる植物です。


皐月は入梅の頃で夏至を迎える月。一年のうちでも最も大きなエネルギーの変化が生じるこの時期は、かつては疫病の発生する頃。現在でも体調を崩す人が多くなる頃ですが、ちょうど植物の生命力が強くなるときでもあります。力強い芳香と呪力に満ちた植物で邪気払いをして、夏を健やかに過ごせますように。

 


[参考書]

「万葉の花」庄司信洲 学習研究社

「萬葉の茶花」庄司信洲 井上敬志 講談社

「茶花萬葉抄」庄司太虚 河原書店

「ハーブ万葉集」大貫茂 誠文堂新光社

「紀州本万葉集 巻第8」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

「紀州本万葉集 巻第17」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

「紀州本万葉集 巻第9」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

 

[写真]
 菖蒲・文目(杜若の代用)・山藍