2014年4月23日水曜日

深呼吸と音楽

 

最近お仕事が詰まっている、緊張を強いられている、無理難題に取り組んでいる、ストレスがたまっている、何かに思いやられている・・春を迎えてお忙しい皆さま、こんなふうに日々を過ごして息が詰まっていませんか?そんなときに必要なのが「深呼吸」。心とカラダの緊張を解きほぐして、ゆったりと深呼吸をするための音楽について、古生物学と解剖学をほんの少し絡めながら、お話してみたいと思います。


◎ヒトは海水魚でした

伝説の解剖学者・三木成夫氏の講演やコラムなどをまとめた本「海・呼吸・古代形象」では、ヒトが海の魚から陸の人間になるまでの壮大なドラマが、興味深い角度でやさしく語られています。

いまから約4億年位前のデボン紀に、私たちの祖先は波打ち際でえら呼吸と原始肺呼吸を繰り返しながら数百万年の間を過ごし、あるものは海へ、あるものは陸へと向かいました。

三木成夫氏によると、この数百万年の間に起こった「ヒトが海の魚から陸の人間になるまでの壮大なドラマ」と同じ出来事が、母のお腹の中に宿った命が、受精卵から十月十日(とつきとおか)の間に同じように起こっているということなのです。中でもとくに大きな出来事なのが、受精卵となって32日からの7日間。海の生きものから陸の生きものに変化するべく、えらの血管が消えて肺の血管が出始めるのだそうです。“つわり”はちょうどその時期に始まり、流産を起こしやすくなる時期とも重なるというのです。こんなお話から、私たちのカラダの至るところに染み付いている「魚だった頃の面影」について、解剖学的な旅のものがたりが始まります(あまりにも壮大な旅になるので、ここでは詳細を割愛します)。

「海・呼吸・古代形象」によると、数百万年に及んだ波打ち際での生活の中でいつしか刻み込まれたはずの「波のリズム」は、人間の呼吸のリズムに深い関わりがあるといいます。波が打ち寄せたら息を吐き、波が引いたら息を大きく吸う。また、えらの神経は心臓につづいているので、心拍のリズムも海のうねりと無関係ではないことがわかります。


こんなお話から、いままで何となく感じていた内臓と呼吸、循環のリズムと海の関係の切っても切れない縁、そして宇宙、海、ヒトのつながりが、ようやくすっと腑に落ちました。

DSCN0724

 

◎魚にかえって、海の呼吸を思い出そう

ここではたと思い出すのが以前の記事「整える音楽」で触れた、古典雅楽のまさに“整える”作用です。古のミュージシャンは、既に1000年近く前に「音がカラダや惑星や季節など、あらゆるものとつながっている・・時間と空間を整えている」ことを知っていました。実に深く、自然の理を理解していたということになるのですね。ヒトには、解剖学的・宿命的に雅楽が必要とされているのかもしれません・・。


では現代の音楽と深呼吸の相性は悪いかというと、そんなことはありません。もちろん色々なタイプの音楽があることはありますが、例えばミュージシャン、写真家としてあらゆるフィールドでワールドワイドに活躍されているHiroshi Watanabeさんの音楽は、深呼吸の音楽だなあと思います。海の世界とそらの世界を波のように行き来する音、これは古典雅楽に通じるものがあると(勝手に)思っています。しかもそこに精緻なリズムが刻まれていて。リズムのことはまたいずれ書くつもりです。


[おすすめのアルバム]♪是非、お魚にかえった気分で音の中を遊泳してみてください。

 ◎田島和枝:「ゆたにたゆたに」/ 「ふゆのおとすれ はるかすみ」
 宇宙全体がゆっくりと深呼吸をしているかのような音。
 おとのひとらレーベルから自主制作で販売されているディスクです。笙・竿によるソロ演奏で、雅楽古典曲「全調子シリーズ」のうち2種。いまのところ冬と春が出ています。今後、ゆっくりとその他の季節「夏」「秋」「土用」を制作される予定、とのことです。

 

 ◎KAITO:Until The End Of Time

 CD:Until The End Of Time +1 [Extra tracks]
 MP3:Until The End Of Time
 星、空、水、風・・森羅万象を音にしたような曲が、まさに綺羅星のごとく並びます。

 ☆USTREAM番組「MUSIC SHARE」で、Hiroshi Watanabeさんのライブをご覧いただけます
 Hiroshi WatanabeさんがKAITO名義で発表されている曲「Star Of Snow」も収録されたライブを、MUSIC SHAREの番組アーカイブでいつでも自由にご覧いただけます。
 http://goo.gl/e3xuWM
 (トークは00:48:45-、ライブは01:17:54-です)

 

 ◎Toshio Hosokawa:Deep Silence / Gagaku
 前回もおすすめしたものですが、これは深呼吸するためにあるような音楽です。自分自身の内なる波の音に耳を傾けるように聞きたい音楽です。

 CD: Deep Silence / Gagaku
 MP3: Deep Silence / Gagaku
 このアルバムでは、古典雅楽とコンテンポラリー音楽を交互に堪能することができます。
 笙とアコーディオンの組み合わせがとても素敵です。

そして「波の音」そのものを聴くのもおすすめです。こればかりはかなり個人の好みが大きく分かれるので、好きな場所の、好きな海の音を聴くのがおすすめです。私は小笠原、石垣島、宮古島、ハワイなど色々使い分けています。中には新月や満月の日の波の音、というのもあります。

 ◎中田悟:FROM MOON TO OCEAN / 海に降る月(CD)


もちろん、実際に南の島の砂浜へ行って、波打ち際の音に身心を溶けこませるのは最高です。これぞまさに「息抜き」ですね。

[参考書]

 「海・呼吸・古代形象」三木成夫 うぶすな書院
 呼吸のこと以外に、睡眠、排泄や内臓の感受性について、またカラダの東西南北の話など、興味深いテーマが目白押しです。すべての人に、是非いつかどこかでかならず読んでみていただきたい、おすすめの本です。

[文中の写真]
 石垣島の某ビーチ(2013年12月7日撮影)

2014年4月18日金曜日

雨の名前

 

春に雨が降るとかならず開くのが、「雨の名前」という本です。
気まぐれにページをめくると、「杏花雨」「草の雨」など、心惹かれる「名前」がつぎつぎに見つかります。一見すると雨の名前ではなさそうですが、「万物生」(ばんぶつしょう)とは春の雨のこと。生きものに新たな生命力を与えてくれる、天からの贈りものをイメージさせる力強いことばです。

紫雲英

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちも口にすることば “春雨”(はるさめ)は、万葉集以来、古典から現代に至るまで春の雨の代表格なのだそうです。
万葉集をめくると、「春雨」の出てくる歌がいくつも見つかりました。

我が背子に 恋ひてすべなみ 春雨の 降るわき知らず 出でて来しかも

作者未詳 万葉集 巻十

「貴方が恋しくてしかたがなくて、春雨の降っているのもわからずに出てきてしまったのです」

 

現代の春雨の歌というわけではありませんが、名コピーライター・土屋耕一氏の、春の雨にまつわる素敵なコピーがあります。

“春は、三日に一度、雨が降ります”

レインコートの広告のために、気象の数字などを調べてつくられたという淡々としたコピーなのですが、私はこのコピーの余白に、いにしえの「春の雨」の気分を感じて、ほんのりと温かな心持ちになります。

こんなぬくもりのある雨を眺めていると、「春雨じゃ濡れて行こう」と気取って、わざわざ雨の中を散歩するのも悪くない気分です。
昨日は春の土用入り。やわらかな雨を重ねながら、もうすぐ夏がやってきます。


[参考書]

 「雨の名前」高橋順子/佐藤秀明 小学館
 

 「紀州本万葉集 巻第10」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

2014年4月9日水曜日

桜の名所 @京都 平野神社

 

週末の京都、醍醐寺の翌日は平野神社に行きました。

 

平野神社入口20140406

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内は早朝6時から開いているので、桜を観ながらゆったりとお散歩をするなら、早い時間に向かうのがおすすめです。写真は朝8時前で、まだ静かな頃。

 

平野神社は、平安時代から続く桜の名所です。夢のような桜天井の下に花見茶屋があり宴もできるとあって、大人気です。

平野神社花見茶屋への道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平野神社花見茶屋遊楽

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平野神社花見茶屋ひさご

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しい桜の品種が多いことも平野神社の魅力です。また、早咲きから遅咲きまで様々なので、一ヶ月以上も桜を鑑賞することができるのです。

平野神社さくらのしおり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“桜は生命力を高める象徴として当社では平安時代より植樹され、現在では約60種400本あります。当社に珍種が多いのは、臣籍降下した氏族の氏神でもあったことから、蘇り、生産繁栄を願い各公家伝来の家の標となる桜を奉納したからと伝えられています”(平野神社HPより)

 

本殿の前には右近の橘、左近の桜。 

平野神社本殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに京都御所、紫宸殿の右近の橘と対の桜は、794年の平安遷都以来、900年代までは梅が植えられていたそうです。ちょうど菅原道真公の申し入れで遣唐使が廃止されたのは894年。また、奈良時代に唐文化の底流でひそやかに芽吹いていた「日本的なるもの」を集めた最初の勅撰和歌集「古今和歌集」の編纂が905年です。桜は、いわゆる「国風文化」が展開していく時代の象徴と言えるのかもしれません。

 

来年は、江戸時代から庶民に親しまれてきたという「平野の夜桜」で宴を。

平野神社HP

2014年4月8日火曜日

桜の名所 @京都 醍醐寺

 

週末は桜を観に、京都に帰りました。

 

下醍醐/五重塔/醍醐山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真中央は国宝の五重塔、奥に見える山は上醍醐と呼ばれる醍醐山です。

醍醐寺の歴史は平安時代にさかのぼります。桜の名所として「花の醍醐」と呼ばれるようになったのは、豊臣秀吉の「醍醐の花見」の盛大な催しがあって以来なのだそうです。境内の説明書きには、醍醐の花見に際して秀吉が7000本の桜を取り寄せ、新たに植えつけたのだとありました。

 

満開の花も良いのですが、私は散る桜で樹下が淡い花びらに染まっているのが好きです。

醍醐寺しだれ桜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内全体は下醍醐と上醍醐に分かれていて、とても広い敷地です。桜が下醍醐に集中しているためか、あるいは往復2時間30分とやや登りがいのある山道だからか、上醍醐の方へ向かうと人の数はまばらになり、静かに散策することができました。上醍醐は醍醐寺発祥の地で、平安、鎌倉、室町、桃山時代の国宝や重要文化財が目白押し。息を切らして登る価値はあります。また、霊水・醍醐水が登り疲れた体を癒してくれます。

醍醐山の山頂にある開山堂の前に立つと洛南、宇治から、お天気次第では大阪、奈良まで見晴らすことができます。

醍醐山山頂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醍醐寺HP

2014年4月5日土曜日

整える音楽

NO MUSIC, NO LIFE. はタワーレコードのコーポレート・ボイスとしてとても有名なフレーズですが、私の毎日の暮らしも、音楽なしには考えられません。

様々なジャンルの音楽を聴くのですが、頻度の高いもののひとつは雅楽です。
雅楽を日常生活で聴く人はあまり多くないようで、普段聴く音楽に挙げると少し驚かれたりするのですが、おすすめです。個人的には龍笛と琵琶の組み合わせや、笙のソロや小編成が好きです。

雅楽に興味を持っていくつか関連の本を覗くと必ず、何度も出てくる書名があります。それは「管絃音義」というものです。「管絃音義」は1185年に完成、涼金という僧によって書かれた雅楽音楽理論で、中国の「呂氏春秋」という思想百科事典の知識をベースに、音楽を中心に据えた五行思想・宇宙論を壮大に論じています。1000年近く経った今、雅楽演奏や研究にとって、いわゆる「外せない」書物です。原文を読んでみると、これがとても面白いのです。

五行相生図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでせっかくなので、触りをご紹介します。出だしから核心的かつ豪快です。*原文の雰囲気を尊重して格調高いムードはそのままに、なるべくやわらかな訳を付けてみました

夫管絃者萬物之祖也。籠天地於絲竹之間。和陰陽於律呂之裏。
訳:そもそも管絃はあらゆるもののはじめである。宇宙を絃楽器と管楽器の間につつみこみ、陰陽を音階の内に調和する。

 

後半ではこんなことも書かれています。

一切音楽。皆是為治国治民也。故昔聖人出世。作管作絃。
訳:すべての音楽はみな、国を治め、民を治める為にある。そのためにかつて聖人がこの世に現れ、管楽器をつくり、絃楽器をつくった。

 

さらに。

五音即属五臓。故還以五音治五臓。
訳:五音は五臓にそのまま繋がっている。それゆえにまた五音によって五臓を整える。

 

音楽って一体何者なのだろう!?とワクワクしてきます。

五音とか五臓、という言葉が出てきましたが、雅楽には5つの「調子」があって、それぞれを五行思想に基づいて分類することができるといいます。以下は「管絃音義」の記述から書き出したもの。朝、昼、夕、夜は「管絃音義」の本文に出ていませんが、五行の基本的な項目なので付け足しました。

 双調:春、東方、朝、木音、肝臓、眼、青色、歳星。
 黄鐘調:夏、南方、昼、火音、心臓、舌、赤色、熒惑星。
 壱越調:土用、中央、土音、脾臓、身肉、黄色、鎮星。
 平調:秋、西方、夕、金音、肺臓、鼻、白色、太白星。
 盤渉調:冬、北方、夜、水音、腎臓、耳、黒色、辰星。

 

音がカラダや惑星や季節など、あらゆるものとつながっている・・時間と空間を整えている、というのですね。音楽の力は、ただものではないみたいです。

 

静かな夜に、お酒を飲みながら。窓の外の、星を見ながら。
宇宙と一体になって、音楽の中で全てが調和する感覚を思い浮かべながら、雅楽を楽しんでみては如何でしょう?


[おすすめのアルバム]

 Toshio Hosokawa: Deep Silence / Gagaku(MP3)

 Toshio Hosokawa: Deep Silence / Gagaku(CD)

 このアルバムでは、古典雅楽とコンテンポラリー音楽を交互に堪能することができます。
 笙とアコーディオンの組み合わせがとても素敵です。

[参考書]

 群書類従第拾貳輯 塙保己一編 巻第341管絃部1「管絃音義」 経済雑誌社
 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

[文中の写真]
 五行相生図并相尅図(群書類従第拾貳輯 塙保己一編 巻第341管絃部1「管絃音義」経済雑誌社より)

2014年4月1日火曜日

おもてなし 語源と、奥深くにある意味

オリンピック2020の招致で東京が行ったプレゼンテーションをきっかけに、「おもてなし omotenashi」ということばは一躍注目を集めました。

インターネット上で様子を見ると、「おもてなし」の語源や意味を調べている人たちが数多くいるようで、解説されているページがいくつもありました。それらをまとめると、おおよそ以下のような説明になっていました。

・「もてなし」の語源は「モノを持って成し遂げる」
・「おもてなし」のもう一つの語源は「表裏なし」
・「おもてなし」は「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉
・「もてなす」は「扱う」ことを強調する場合に使う言葉

しかし私は、「語源」という観点では、残念ながらいづれも誤りと説明不足ではないかと感じました。

 

◎平安時代にさかのぼる「おもてなし」

「もてなし」(名詞)「もてなす」(動詞)は、古く平安時代には使われていました。
根源的には「もて」(接頭語)と「なす」(動詞)という語から成り立っています。

「もて」には二つの意味があります。一つは「手で持って・・する」「手を用いて・・する」。もう一つは「意識して・・する」「心で大切にして・・する」。何となく行うことではなく、意識的、意図的、また心ひかれて、あるいは故意になど、主体がそれと意識して行為することを表します。「もてなす」の場合は、後者の意味を付加するものとして「もて」が使われています。

「なす」は漢字で書くと「為す」「成す」「生す」。人為的に力を加え、積極的に働きかけることによって、これまでになかったものを存在させることを意味します。また、すでに存在しているものに働きかけ、これまでとは別のものに変化させる意味を示すときにも使われてきました。

「もて」と「なす」を一つにまとめると、「意識的に何かを行い、ある状況をつくり出す」ことです。平安時代に実際に使われた意味として、七つの例が挙げられます。

 1. 相手に対する評価や好き嫌いの感情をもとに、何らかの意図をもって相手を扱う
 2. 子供、若い女性を大切なものとして世話をする
 3. 男が女を妻として正式に迎えたり、扱う
 4. 権力者や心を寄せる相手に対して、相手が良くなるように意図的に計らい、助けたり引き立てたり、よくする
 5. 接待する。相手を大切に扱い、世話をする
 6. 取り立てて問題にする、評判にする
 7. 相手に対してではなく自分自身について、何らかの意図をもって振る舞う。意識した気配や物腰をあわらす。意図的にある様子に見せかける、偽る。外部、世間の存在を意識して、自分の行為をそのときの目的に合わせること

また、名詞の「もてなし」には、五つの用例が挙げられます。

 1. 意図して計らうこと
 2. 意志的に行う待遇
 3. 大切なものとして世話をすること
 4. ものの使いぶり。使い手の人柄を反映するものと捉えられ、心ある上手な用い方のこと
 5. 人柄、人格が反映される態度や身のこなし、振る舞いやものごし

現代語では、もっぱら動詞の5.と名詞の3.の意味で用いられています。

インターネット上に流布している誤解や中途半端な説明不足の発信源がどこにあるかは分からないのですが、察するに茶道の知識の聞きかじりや英語のhospitalityの意味、サービス業などにおける色々の解釈などが入り混じるうちに、あのような説明になったのではないかと思います。


◎いまと、未来の「おもてなし」

私は名詞の4.と5.にある、受け取る側の見たり感じたりする「もてなし」という意味の方に興味を持ちました。現代語の辞書にこそありませんが、日常で「おもてなしの心」といった話が出る時、私たちには常に「もてなしを受ける側」を思い遣る志向があり、この意味が強く意識されているのではないでしょうか。つまり、結果的に相手が「おもてなし」を感じてくれることこそが重要なのだ、という意識です。例えば、家に招くお客様は我が家をどう感じてくれるか、2020年に日本に来てくれる諸外国の人たちは我が国をどう感じてくれるか――。

そう考えると、大切な客人に「おもてなし」することを目標にするのであれば、まずは相手の立場を思いやりながら自らの行いに注意を向けることが出発点になりそうです。動詞用例の7.みたいに「見せかける」「偽る」ことは、そのうち後悔につながることでしょう。

 

ちなみに平安時代、容姿以外に重要な要素とされた人の判断基準が三つあります。それは、「心ざま」「もてなし」「言の葉」です。「心ざま」は気だてのこと、「言の葉」は声によって発する表現や歌ことば、文字、文面、心のこもった言語表現などを示します。気だてよし、物腰よし、声よし、文字美し・・この点については今も昔も、あまり大きな変わりはないのですね。

 


[参考書]

「古典基礎語辞典」大野晋編 角川学芸出版
 用例が豊富で、古の生きたやまとことばに手軽に触れることができる辞典です