2014年3月28日金曜日

青き踏む

「青き踏む」は春の季語。中国の「踏青」という言葉から来ており、春の野でピクニックをしたり凧揚げをしたりする、古くからの慣習といいます。

このフレーズは、春をあらわすことばの中でも特に好きです。
「青き」色を「踏む」瞬間に立ちのぼる草の匂いと、若くやわらかな新葉の感触。鮮烈な印象を感じる言葉です。


名コピーライター・土屋耕一氏の「すぐれたスローガンは、ロゴになることができる」という一言を思い起こしつつ、私としては、「青き踏む」を春のスローガンにもロゴにもしてしまいたい気分です。

 

絵画では、酒井抱一の「四季花鳥図」やモネの(マネではなく)「草上の昼食」がぴったりだなあと思います。webで自由に紹介できる画像が見当たらないので、雰囲気の出ているものとしてwikimediaからモネの「春」と、マネの描いた「アルジャントゥイユの庭のモネ一家」をご紹介します。

 ◎Claude Monet “Springtime”

Claude Monet Springtime

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Édouard Manet “The Monet Family in Their Garden at Argenteuil”

Édouard Manet The Monet Family in Their Garden at Argenteuil

 

 

 

 

 

 

 

 

木漏れ日の中で青を踏む情景に惹かれます。

2014年3月27日木曜日

北欧モダンと古の東洋美

愛知県陶磁美術館へ行きました。

企画展のテーマは「モダニズムと民藝 北欧のやきもの:1950's-1970’s」で、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの焼きものがまとめて160点展示されていました。

これまで私は、北欧のやきものを美術館などで観ようとは考えもしませんでした。日常のやきものであるし、「鑑賞」の対象と思っていなかったのです。しかし、行ってみると北欧モダン陶磁の背景と展開を面白く知ることができました。

最も興味深かったことは、北欧では「産業」としてのやきものと「美術工芸」としてのやきものが、決して切り離すことの出来ない両輪として製陶所に大切にされてきたことです。ロイヤル・コペンハーゲン、アラビア製陶所、グスタフスベリ製陶所といった各製陶所は、工房の中に美術工芸部門を設置し、そこでは東洋の古い陶磁作品の形状、釉薬の研究や、実験的作品の制作が営まれ、そこから生まれた発想が日常品としての陶器制作に活かされていました。

Hokuo flyer a

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えばニルス・トーソンの紫紅釉碗(ロイヤル・コペンハーゲン *1つ目の画像、上から2番目の紫色碗)、ベルント・フリーベリのミニチュア陶器(グスタフスベリ製陶所 *2つ目の画像、左上写真の小瓶群)などを見ていると非常に東洋的で、いにしえの中国陶磁に紛れていても、直ぐには判らないかもしれません。

Hokuo flyer b

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的にお気に入りなのはアクセル・サルトのヴェース(ロイヤル・コペンハーゲン *2つ目の画像、写真二段目中央)をはじめとした美術工芸作品群。土、草、木の実や樹木、葉っぱがモチーフになった塊状の瓶は、野性的な魅力に満ちていました。原料を土とするやきもので森の土を表現する、というのは妙な感じもしますが、確かに見事にかたちになっていたのでした。

 

東洋から多くを学んだ北欧のやきものですが、その後、今度は日本人の注目を集めました。柳宗悦や濱田庄司などの民藝運動家が北欧の陶芸家やデザイナーたちと交流を重ねて、「用と美」を兼ね備えた産業製品の可能性を追求していったのです。

半世紀前にも北欧ブームがあったのですね。


愛知県陶磁美術館HP

 *画像は愛知県陶磁美術館HPのサービスを利用してダウンロードしたものです

2014年3月25日火曜日

万葉植物:三椏


週末に、奈良のお気に入りスポットの一つ、春日大社神苑 萬葉植物園へ行きました。ここはゆっくりと静かに過ごすことのできる場所で、どの季節に訪ねても素敵な発見があります。

今回は、可愛いお花が入り口から出迎えてくれました。

三椏の花20140322

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三椏(みつまた)の花です。

まるでふわふわの砂糖菓子のような白と黄の花が、三つに分かれた枝先についています。淡い芳香も。


万葉の歌には「さきくさ(三枝)」という名で登場します。「さきくさ」がどの植物のことなのか・・昔から諸説ある中で、現在は三椏説が有力なようです。

春さればまづさきくさの幸くあらば後にもあはむな恋そ吾妹

柿本人麻呂歌集

 

三椏は、枝先が必ず三つに分かれます。たとえ別れても元はひとつ、というその生態にからめて、この歌では離ればなれになったとしてもまた出会えましょう、というのです。


◎さきくさと、幸と咲
「さきくさ」のあとに「幸く(さきく)」と続くのはとてもオシャレだなあと思います。
「さきくさ」の「さき」は本来植物のことではなく「幸く(さきく)」の意味で、繁茂や繁栄のしるし。おめでたい、幸福を呼びこむ植物という意の呼び名です。ちなみに、「幸はふ(さきわう)」は、植物の繁茂が人に幸福をもたらす、という意味から成立した言葉といわれています。ことばと自然が一体になっているのですね。

さらに「幸(さき)」は「咲き」とも掛けていることでしょう。「咲く」は「栄え」や「盛り」とつながることばで、蕾がひらくという意味以外に、何か喜ばしい出来事があるのを表現するときにも使われていました。
いつわりのない植物に例えることでいっそう、思いの強さがあらわされているようです。

 

街で見かけることのほとんどない三椏ですが、古代中国から有用植物として日本に渡り、長く強靭な枝の繊維が紙の原料として活用されてきました。特に紙幣に欠かせない素材として知られます。ゆえに、現在でも和紙の生産地近くでは栽培されています。


萬葉植物園では、ちょうど見頃の座論梅にも出会いました。

座論梅20140322

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春日大社神苑 萬葉植物園 HP


[参考書]

「万葉の花」庄司信洲 学習研究社
「萬葉の茶花」庄司信洲 井上敬志 講談社
「茶花萬葉抄」庄司太虚 河原書店
「ハーブ万葉集」大貫茂 誠文堂新光社
「古典基礎語辞典」大野晋 角川学芸出版
「紀州本万葉集 巻第10」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

2014年3月19日水曜日

梅宴の名残 @京都 北野天満宮

京都、北野天満宮は平安時代中頃を始まりとする神社です。学問の神様である菅原道真公を祀る社として受験生に人気がありますが、梅の名所でもあります。

北野天満宮20140309

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内は見どころが非常に多いのですが、梅苑の奥、境内の西に流れる紙屋川に沿って築かれた御土居跡はお気に入りの場所です。

御土居跡20140309

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御土居は16世紀、豊臣秀吉が洛中洛外を区分するために築いた土堤です。北は上賀茂、東は鴨川西岸、西は紙屋川東岸、そして南は東寺までを囲う土塁というのですから、相当な規模です。

この御土居あたりで、秀吉が梅見の宴を催したと伝わります。

漂う梅の香りと浮かれた見物客に混じりながら、確かに、ここで宴が華やかに開かれたのだろうな、と400年前の宴の名残を味わいました。

 

帰り道は、お決まりの長五郎餅と、澤屋の粟餅です:-) どちらも日持ちせず、特に粟餅は店先で直ぐにいただかないと食す意味が無いほど鮮度が重要。シンプルで、飽きることのない味です。

長五郎餅店先20140309

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年3月18日火曜日

梅の園 @京都 梅宮大社

京都のお気に入りの一つ、梅宮大社へ行きました。

その名の通り、梅の名所です。

 

梅宮大社の梅20140310

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでおとぎ話の風景の中にいるようで、自分の他に誰もいないと不安になってしまうほどです。

 

梅は、奈良時代に中国から渡来したそうです。当時は舶来趣味の対象で、高級官僚や貴族たちが中国の詩の知識を背景に愛好、珍重しました。知的で高雅な梅の花は、万葉集に数多く詠まれています。

ひさかたの月夜を清み梅の花心開けてわが思へる君

紀少鹿女郎

万葉集の梅はほとんどすべて「白梅」を指し、平安時代でも紅色の梅花の場合には「紅梅」と断るのが通常だったそうです。白い花は月の光と重ねて詠まれ、その清らかな印象が一層増します。

 

雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも

大伴旅人

白い花はまた、漢詩の趣向に学んで「雪中の梅」として詠まれてもいます。 古来、雪は豊饒のしるし。この一首は雪から梅へと吉兆を託しつつ、迎える春に何か良いことが起こる期待を感じているかのようです。

 

梅は、花が見えなくても香りによって存在が知れるとして、「闇夜の梅」も好んで詠まれました。「月明かりに梅」も素敵ですが、「闇夜の梅」にも惹かれるものがあります。

ことばの音、風物の色、香り、それらから連想される何か・・心体の全部で味わう直感的な魅力は、知識も時空も超えて万葉人と私たちの間で共有しているのではないでしょうか。

 

ところで、梅宮大社のお庭は松も素晴らしいです。

梅宮大社の松20140310

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真の奥に見えるのは、酒造と交通の神様・松尾大社がある、松尾の山です。

梅宮大社HP

 

[参考書]

「紀州本万葉集 巻第5」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

「紀州本万葉集 巻第8」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

「ハーブ万葉集」大貫茂 誠文堂新光社

「古典基礎語辞典」大野晋 角川学芸出版

 

2014年3月14日金曜日

万葉植物をいける:桃・枝垂柳・山吹・嫁菜

節目ごとに、万葉集に登場する植物をいけています。

万葉植物:桃・枝垂柳・山吹・嫁菜


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花をいけることで1000年前とつながる。と言っても、万葉集に出てくる植物とそれらに込められた寓意を知るたびに、古の人々が持っていた自然の知識の奥深さには遥かに及ばないことを思い知らされます。

 

“兆しをつかむ”

主としていけた桃は「兆す木」。中国から伝わり、邪気を祓うエネルギーがあるとされています。黒い桃の枝で「桃矢」「桃弓」「桃杖」をこしらえて用いたそうです。桃色の愛らしい花は「いづれ散るもの」とあまり頓着されず、むしろ若芽に宿る生命力こそ重要視されていたというのは面白いところです。桃の実は病人を癒やす薬と考えられていたのですが、いまでも桃を病人へのお見舞いの品とする風習は、ここから来ているのでしょうか。

 

“いつか結ばれる”

丸く結んだ枝垂柳。古代中国では恋人と別れるときに再会を願い、柳を折ったり結んだりして贈ったのだそうです。その習慣を万葉人が取り入れ、歌に詠み込んでいるのです。


“生命力をとりこむ”

嫁菜は、現在では栽培用の品種が「都忘れ」としてよく知られています。古くは若芽を和えものや吸い物にして、春の香りが食されてきました。


“亡き人の面影に”

植物の生態と歌ことばの意味には深い関係があります。

例えば、山吹(写真ではまだ蕾なのですが)を詠み込んだ歌。

山吹の立ちよそひたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく

巻二 高市皇子

「山吹の咲く山の清水を汲みに行きたいけれど、その道がわからない」

山吹の花の「黄」色と清水の「泉」で黄泉の寓意となっています。また黄色は土の色、黄土は墓を暗示します。

「黄泉」はあの世であると同時に、「“よみ”がえり」の世界でもあります。この歌では「黄泉の国へ行ってしまった人に会いたいが、道がわからない」と意図的に言っているのでしょう。「よみがえりの国」へきちんと送ることで、会いたい人がいつか甦ってくれることを願っているのです。

山吹は別名「面影草」とも呼ばれ、亡き人の面影を偲ぶ心もその姿に伝わります。そして風に揺れる姿からか、万葉集では「山振」の漢字が当てられています。古代、揺れるものに魂が宿るとされたのもなるほど、と思わされます。

 

たくさんの桃をいけ込んで、見た目にあまり洗練されたものではないのですが、山吹に黄泉の国へ旅立った方々を偲びつつ、桃にはいま生きる人たちが安らかでありますように、そして嫁菜には春の力をもらって無事に過ごせますように、との思いを込めました。結ばれた枝垂柳は再会の印であり、また命のつながりでもあるはずです。

 

[参考書]

「万葉の花」庄司信洲 学習研究社

「萬葉の茶花」庄司信洲 井上敬志 講談社

「茶花萬葉抄」庄司太虚 河原書店

「紀州本万葉集 巻第2」後藤安報恩会 *近代デジタルライブラリーで閲覧可能

 

 

2014年3月8日土曜日

古日本について

“日本の、古と今の「もの・こと」をつなぐ結び目”

星々や月を眺めているとき、ふと、いにしえの人たちとのつながりを感じる瞬間があります。また野山の花や木々に、プリミティブな美しさを見ることもあります。

遥か彼方は失われた時のようでいて、実は私たちの日常の中でひそやかに呼吸を続けています。たとえば言葉、文字、美意識、音楽、食、旅・・。

「古日本」では、連綿と共有されてきた感性や「もの・こと」について思いを巡らせ、ゆっくりと書き綴ります。

「イニシエ」の音は、フランス語の initier と似ています。手ほどきをする、秘密をうちあける、秘伝を授ける、といった意味で、自分の知らなかった日本の「もの・こと」を見つけることができたらいいな、という趣きでアルファベットの表記も入れてみました。

静かに深呼吸をするような、心地よいときを紡いでいきたいです。 


Takaramusubi

「結び目」とは

古代の人々にとって、「結び目」は数や事物を伝える手がかりとなっていたそうです。「結び目」には魂が宿るとされています。また、異なるものがつながって「結び」になることで、新たなエネルギーが生まれるともいいます。

 

 世界で有名な「結び目」といえば、古来アイルランドに伝わるケルティックノットやチベットのエンドレスノット。日本のエンドレスノットは「宝結び」。これらは始まりも終わりもない「結び目」で、永遠をあらわします。

「いにしえ」と「いま」も、宝結びのようにつながっているのかもしれません。